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お茶道具買取り|京都府宇治市にて鵬雲斎書付吉向十三軒茶碗

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裏千家お茶道具買取中です。
骨董品、美術品、掛軸、着物などの
整理売却でお困りの方、ご安心してください。
ご相談して頂ければと思います。

「門運孔(モンク)」
京都市左京区岩倉花園町247
0120-12-9686

又、断捨離、遺品整理、空き家の整理、お引っ越し、
お住まいの建て替える際の不用品を整理しながら売却し、
不用品の片付けなどのサポートさせて頂きます。

骨董品、美術品、お茶道具、掛軸など
についてご相談がありましたら
ご連絡して頂ければと思います。

「門運孔(モンク)」
京都市左京区岩倉花園町247-3
0120-12-9686

京都府の京都市(北区、上京区、左京区、
中京区、東山区、下京区、南区、右京区、
伏見区、山科区、西京区)、向日市、
長岡京市、乙訓郡、宇治市、城陽市、
八幡市、京田辺市、久世郡、綴喜郡、
木津川市、相楽郡、亀岡市、南丹市、
船井郡、福知山市、舞鶴市、綾部市、
宮津市、京丹後市、与謝郡など…。

遠方の方でもご安心下さい。
骨董品などを整理しながら査定させて頂き、
買い取り出来るもの出来ないものを
整理しますので安心して頂ければと
思います。

骨董品・美術品・古道具買取店
「 古美術 門運孔(モンク) 」
京都市左京区岩倉花園町247-3
0120-12-9686

掛軸、着物、更紗、藤網代
茶碗、釜(茶釜、風炉)、風炉先屏風、
柄杓、盆、水指、水注薬缶、茶筅、
茶巾、茶器(茶入、棗、薄茶器、茶壺)、
茶杓、蓋置、建水、台子、扇子、
菓子器、香合、花入など…。

「 八代吉向十三軒 赤茶碗 鵬雲斎書付 」

裏千家(うらせんけ)

利休宗易
抛筌斎(ほうせんさい)
1522年~1591年安土桃山時代の茶人。
和泉堺生。
茶の湯を北向道陳・武野紹鴎に師事。
織田信長・豊臣秀吉の御茶頭となる。
正親町天皇より利休居士号を勅賜される。

少庵宗淳 (しょうあん) 
1546年~1614年安土桃山・江戸初期の茶人。
利休の次男、宗旦の父。
利休自刃後、千家の再興が許されたのち、
不審庵に住み、1614年(慶長19年)亡くなる。

元伯宗旦 
咄々斎(とつとつさい) 
1578年 (天正6年)~1658年(万治1年)。
千家3代。父は少庵。
茶家としての千家の確立と存続につとめる。
又、のちに8代家元の啐啄斎は、60歳
で隠居し「宗旦」を名のる。
以後、表千家の歴代家元のなかには
「宗旦」を隠居名とする人もいる。

仙叟宗室
臘月庵(ろげつあん)
1622年(元和8年)~1697年(元禄10年)。
今日庵を譲り受け裏千家の基礎をつくり、
加賀前田家茶道として仕官しております。

常叟宗室
不休斎(ふきゅうさい)
1673年(延宝元年)~1704年(宝永元年)。

泰叟宗室
六閑斎(りっかんさい)
1694年(元禄7年)~1726年(享保11年)。
裏千家6代千宗室。

竺叟宗室
最々斎(さいさいさい)
1709年(宝永6年)~1733年(享保18年)。

一燈宗室
又玄斎(ゆうげんさい)
1719年(享保4年)~1771年(明和8年)。
裏千家8代千宗室。

石翁宗室
不見斎(ふけんさい)
1746年(延享三年)~1801年(享和元年)
天明の大火で被災したが今日庵などを再建する。

柏叟宗室
認得斎(にんとくさい)
1770年(明和七年)~1826年(文政九年)
裏千家10代。

精中宗室
玄々斎(げんげんさい)
1810年(文化7年)~1877年(明治10年)
裏千家11代。
松平乗友の五男として生れ、認得斎の養子となる。

直叟宗室
又玅斎(ゆうみょうさい)
1852年(嘉永五年)~1917年(大正六年)
裏千家12代。
角倉家から養子となり、11代宗室の長女鹿子を妻とする。
明治初期、茶道維持復興に努める。
明治18年家督をゆずる。

鉄中宗室
圓能斎(えんのうさい)
1872年(明治五年)~1924年(大正十三年)
茶道の復興に努め、近代化に尽力する。

碩叟宗室
無限斎(淡々斎たんたんさい)
1893年(明治26年)~1964年(昭和39年)
裏千家14代。
1940年淡交会を設立。
茶道の海外普及にも努める。

汎叟宗室
鵬雲斎(ほううんさい)
1923年(大正12年)~
裏千家15代。
14代の長男。
学徒出陣により、海軍にはいる。
同志社大学卒業、ハワイ大学修学。
2002年長男に家元継承。玄室に改名。

玄黙宗室
坐忘斎(ざぼうさい)
1956年(昭和31年)~
裏千家16代。
妻は三笠宮崇仁親王の第二女子容子内親王。