お茶道具買取中です。
無盡宗左
即中斎(そくちゅうさい)
1901年(明治34年)~1979年(昭和54年)。
表千家13代。京都に生まれる。戦後、茶の
普及、伝統保持、基礎を築く。
「門運孔(モンク)」
京都市左京区岩倉花園町247
0120-12-9686
茶碗、釜(茶釜、風炉)、風炉先屏風、
柄杓、盆、水指、水注薬缶、茶筅、
茶巾、茶器(茶入、棗、薄茶器、茶壺)、
茶杓、蓋置、建水、台子、扇子、
菓子器、香合、掛軸、花入など…。
ご親族などに骨董品、美術品など
コレクションされた方、
又、遺品整理、空き家の整理、お引っ越し、
お住まいの建て替える際の不用品の整理などで
出てきた骨董品、美術品について
ご相談がありましたら
ご連絡して頂ければと思います。
「門運孔(モンク)」
京都市左京区岩倉花園町247
0120-12-9686
表千家(おもてせんけ)
利休宗易
抛筌斎(ほうせんさい)
1522年~1591年安土桃山時代の茶人。
和泉堺生。
茶の湯を北向道陳・武野紹鴎に師事。
織田信長・豊臣秀吉の御茶頭となる。
正親町天皇より利休居士号を勅賜される。
少庵宗淳 (しょうあん)
1546年~1614年安土桃山・江戸初期の茶人。
利休の次男、宗旦の父。
利休自刃後、千家の再興が許されたのち、
不審庵に住み、1614年(慶長19年)亡くなる。
元伯宗旦
咄々斎(とつとつさい)
1578年 (天正6年)~1658年(万治1年)。
千家3代。父は少庵。
茶家としての千家の確立と存続につとめる。
又、のちに8代家元の啐啄斎は、60歳
で隠居し「宗旦」を名のる。
以後、表千家の歴代家元のなかには
「宗旦」を隠居名とする人もいる。
江岑宗左
逢源斎(ほうげんさい)
1613年(慶長18年)~1672年(寛文12年)。
江戸前期の茶人。千家の基礎を固めた。
4代の江岑宗左より、宗左が家元の名
となった。
良休宗佐
随流斎(ずいりゅうさい)
1650年(慶安3年)~1691年(元禄4年)。
表千家5代。表千家では代々「宗左」
を称するが、随流斎は「宗佐」を
用いた。
原叟宗左
覚々斎(かくかくさい)
1678年(延宝6年)~1730年(享保15年)。
表千家6代。随流斎の養子となり家元を継承。
天然宗左
如心斎(じょしんさい)
1705年(宝永2年)~1751年(寛延4年)。
表千家7代。家元制度の基礎を築く。
件翁宗左
啐啄斎(そったくさい)
1744年(延享元年)~1808年(文化5年)。
表千家8代。8歳で家元を継いだ。
1788年(天明8年)の大火で焼失した家元を再建。
1789年に利休200年忌の茶事をおこ
なっている。
60歳で隠居し、宗旦を名のる。
曠叔宗左
了々斎(りょうりょうさい)
1775年(安永4年)~1825年(文政8年)。
表千家9代。江戸後期の茶人。
晩年には紀州徳川家に仕える。
祥翁宗左
吸江斎(きゅうこうさい)
1818年(文政元年)~1860年(万延元年)。
表千家10代。1839年に利休の250年忌を営む。
瑞翁宗左
碌々斎(ろくろくさい)
1837年(天保8年)~1910年(明治43年)。
表千家11代。幕末時の茶道衰退期にあり、
その復興に尽力。北野天満宮で献茶
をおこなう。
明治天皇に献茶。
敬翁宗左
惺斎(せいさい)
1863年(文久3年)~1937年(昭和12年)。
表千家12代。明治維新後の茶道衰退の時代に
あり、復興につとめ家元の茶室の再建にも力を
尽くす。
無盡宗左
即中斎(そくちゅうさい)
1901年(明治34年)~1979年(昭和54年)。
表千家13代。京都に生まれる。戦後、茶の
普及、伝統保持、基礎を築く。
宗左
而妙斎(じみょうさい)
1938年~1938年(昭和13年)生まれ。
表千家14代家元。
而妙斎の号を与えられる。
1980年(昭和55年)、14代宗左を襲名する。当代。